簡単ではない失踪と「失踪もどき」、無責任さの所在についての簡易メモ
失踪に対する熱意が再熱している。
どこかに消えてしまいたい。どこか別の場所で別人として密かにゆったりと暮らしたい。もちろん、失踪生活がそんなに甘いものではないことくらい分かっている。だから、もっと現実的で、疲れなくて、理想的な「失踪もどき」を果たしたいな、という強い願望が立ち上がってきた。
第一に、失踪とはなにか。
突如あらゆる人と連絡を絶ってひとりになり、どこか別の土地へと移住する。同戸籍の家族に所在地がバレないよう、住民票を作成せず、保証を受けない覚悟でただ土地から土地へ流れていく。現金しか使わず、自分に関するあらゆる情報を曖昧にしていく。嘘で塗り固め、誰でもない状態を保つ。
行政の手続きを考えると一見面倒くさそうだが、行動そのものを見るとなんて原始的なんだろう。しがらみを捨てきって、もっと感性に従って生きたい場所で生きる。ここに居たらなんかダメになっちゃうという生物の勘に従って移動していく。
ここにいると終わっていってしまうと感じて移動するのって、もっとも原始的な移動の形態なのではないかと思った。
ただ実際問題、失踪は簡単ではない。
混乱した状況で行えば警察を巻き込んだ大捜索が行われるし、ちょっとしくじったら現代技術を行使されて一発でバレる。それに、移住した先で職を見つけようにも住所がないと始まらない。保険証なども移行しないとあらゆる医療費もアレするだろうし、とにかく日本国民が受けられるサポートの結構数が上手く受けられなくなる。と思う。そんなに詳しいわけじゃないから、想像の範囲を出ませんが。
そもそも、新しい土地でひっそり生きていくためにある程度馴染んで、金を稼ぐためにコソコソ新しい職について…っていう作業そのものが超ストレスなんですけど。とか思ってしまった。せっかく失踪しても、先々のことを考えて頭が痛くなってしまっては元も子もないというか、知らない土地で将来が急に不安になるのってこれ以上ないくらいの不安だと想像する。
そうなるくらいなら、今いる場所を拠点にもっと住みよく環境を整えて、じっくり腰を据えて徐々に影を薄くしていこうかな、と思ったりした。東京、便利だし。
だんだんSNSやめていって、連絡先を消していって、遊びにも行かなくなって、今やってる仕事を永久にやめて、全く違う生活にしていきたい。失踪する手間を考えたらまだこっちの方が出来そうな気がしてきた。
それなりに安定した職を得て、誰にも教えていない家で生活し、本当に限られた数人の電話番号だけをノートに挟んで、それだけで適当に生きていきたい。
最近、人間にどんどん疲れている気がする。たぶん気のせいだけど、すごく裏切られていると感じる。「行こう!」と言っていたのに行かない、「今度やるね!」と言っていてもやらない。自分も含めて、人間は言葉に対する責任を全然負ってないと思ったりする。自分含めて……。こんなことって日常茶飯事だし、もっとスルーして、そういうこともあるよね~ってくらいにやってないと上手くいかないのは当たり前なんだけど、どうしても引っかかる。ふとした瞬間に「あー前言ってたのって建前だったんだ。」みたいな妙な絶望がある。全部本気にしてたらキリないのにね。
自分もそういうことしてるだろうし、言った言葉に責任負えてないなって思うから、今度は「もう今は喋りたくないな」と思ったりする。急に喋れなくなるのと、社交辞令的な言葉を発するのって、どっちがより無責任なんだろう。
とにかく、来年は「失踪もどき」のための準備を少しずつ進めていこうと思う。
モノを減らして、情報を減らして、限って、影を薄くしていく。どこにいたのか、どこにいったのか分からないような人間になっていく。
もっともっと、休みたい。最近はそれしか頭にない。
現実感も薄れていってる。まあ大丈夫だと思う。
0コメント