大事なモノと硬貨
昔から小銭が大好きで、「小銭ジャマだから使っちゃいたい」とかいう大人をみると、じゃあそれぜんぶちょうだい!って思ってた。でもこの歳になってみたら確かに邪魔かも?分厚くて重くてなんか丸いし。小銭ってなんで丸いの?冷静に考えてみたら丸いのってめっちゃ管理しづらくない?四角い方が財布にも綺麗に収まりそう。なんとなくだけど。でもどの国の硬貨も丸いからなんか意味があるんだろうな。わざわざ調べようと思うほどの疑問でもなくて、脳みそがどんどん進んでく。小銭が四角い世界線にいる自分のことを考える。
まず小銭が転がって下水に落ちちゃうみたいな描写が消える。カイジの映画で100円玉が地下帝国?まで落ちていく描写あるけど、あれもなし。だって四角いから。四角い小銭は転がらないから。
僕は500円玉が好きで、一時期貯金するでもなくただただ集めていたりして、それを知ってる友人が500円玉と100円5枚を交換してくれたりした。優しい。今も金ぴかのカッコいい500円玉は取っておいてある。でも、コレクションのために実用的な硬貨を何枚も置いておけるほどお金持ちじゃないから、だいたい使っちゃった。仕方ないよ、貧乏だから。貧乏って裸でいられるってことだけど、同時にモノを所持していられない。実のところ、モノを持っているのはそれだけでお金がかかったりする。服屋さんが70%offにしてまで在庫を売りつくしたいのは、それを保管しておく倉庫代が利益より膨らんじゃって赤になるから。いや、そんな倉庫とか別荘とかそういうモノを持ってるわけじゃないけど、普通の暮らしだって服が多すぎたり本が多すぎたりするとそれだけで生活のスペースが圧迫される。あーあ。広い部屋だったらもっとこの子たちとうまい距離とれて、ずっと大事において置けるのかなーなんて思う。売ったり捨てたりあげたりしてるモノたちは僕の時間をたっぷり使って選んだもので、かつかつ稼いだなけなしの金で買ったりしてるモノで、そんな大事なモノたちなのになんで大切にできないんだろう。貧乏で余裕がないからかな。貧乏は裸でいられることだけど、それってどんなに暑くても、もう脱ぐ服がないみたいな、のっぴきならない感覚でもある。ちょっとつらい。
最近ずっと家にいるから、本との距離が近くなってきた。近すぎる。圧迫感すら感じる。本棚に入らなくてクローゼットに眠っている500冊近い本の視線を感じる。カラーボックスを違法増築みたいめちゃくちゃに積み上げただけの本棚に暮らす200冊の本たちの息遣いが迫ってくる感じがする。部屋に置いておけなくなって、弟のスペースに避難させてある絵本とか、昔の漫画とかその他200冊の重みを感じる。離れてるのに感じる。本の気配に過敏になりすぎて、全部重い。僕ってこんなに本持ってたっけ。こんなに本持ってていいのかな、そんな資格あるっけ?もっと相応しい人のところにいきたくない?こんな暗くてじめじめした人間に所有されてて苦しくない?なんか自分のこと嫌いになっちゃいそう。
嫌いだよー!当たり前じゃん、こわいもん。めっちゃこわいもん。統一感なくていつも慌ただしくごちゃごちゃで、うまくモノと距離が取れなくて泣いちゃったりして超こわい。
最近、でかい震災が起きたら何をもって逃げ出そうか考えてた。
通帳とかへそくりとか、あとジジの形見とか。大切な本は持っていきたくなっちゃうね。でも大切な本ってついついハードカバーで買っちゃったりしていて、すごく重い。置いていくしかない。本はあきらめる?じゃあ他に何を持ち出そう。何か貴重なものって持ってたっけ。大叔母さんの遺してくれた宝石とか?宝石は嵩張らないし有限な資源だから持っていきたいよね。あとなんだろう、日記かな。日記とカメラ!そう、カメラは大事だ。高かった。そんなもんかな。本当に大したもん持ってないな。人に貰った大事なもの、金目のもの、日記とカメラ。その日暮らしな感じがする。まあ、そういうものか。何かを選択するのって、どんな場合でも難しいな。
やっぱりなんで硬貨が円形なのか気になってパパっと検索したのだが、何個かサイトをのぞいても「円形の方が四角形のものに比べて使用するときに便利である」と、さも当然のように記述されていて、よく分からなかった。なにが便利なのか……。
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